いま、なぜ嚥下食が必要なのか5.「嚥下食ピラミッド」への道のり

 高齢化の進行に伴って、摂食・嚥下障がい者がますます増加する中、嚥下食が果たす役割は一段と重要性を増しつつあります。
しかしながら、嚥下食に関する本格的な研究が行われ始めてから歴史が浅いこともあって、知見の確立や関係者の理解が不十分な課題も数多く残されているのも事実です。
当サイトでは、ここ数年、摂食・嚥下障がい度のレベル評価や、提供する食物形態の物性条件の統一基準モデルとして定着しつつある「嚥下食ピラミッド」にもとづいて、おいしく安全な嚥下食の提供に貢献する最新のノウハウを紹介します。

① 「潤生園」の介護食

 わが国における嚥下食の提供は、小田原市にある特別養護老人ホーム「潤生園」における取り組みから始まりました。
1982年、理事長の時田 純氏と管理栄養士の椎野恵子氏が、食事や水分にむせて口から食べられなくなった入所者に、最期まで口から食べて頂く方法を考えた結果、「よだれ(唾液)」をヒントに、栄養価の高いミルクをゼラチンで固めた、「ソフトな救命プリン」が開発されました。そして、この「救命プリン」を2?3日経口摂取できれば、嚥下反射が回復してくることを発見したのです。
更に、「煮こごり」をヒントにした「そうめんの寒天寄せ」や、食べにくい「わかめ」や「ホーレン草」などまでレパートリーは広がり、どんな素材でも「介護食」にできる調理技術を生み出し、嚥下障がいに苦しむ高齢者に光明をもたらしました。
こうした取り組みを最初に報道したのは、1987年9月14日、朝日新聞夕刊のコラムですが、潤生園には問い合わせが殺到しました。どれほど多くの人々が嚥下障がいに苦しんでいるか、関係者の注目を集めたことが、今日の嚥下食の礎となったのです。

② 「聖隷三方原病院」の嚥下食

 1980年にわが国で最初のホスピスを開設した聖隷三方原病院では、早い時期から末期がん患者さんのための食事の開発に取り組んでいました。
そして、1987年に病院全体の日常業務の中に嚥下食をとり入れ、1988年には、開始期、導入期、安定期の3段階に分けて、ゼリー、ヨーグルト、プリン、おじやミキサーなどを段階的に組み込んだ嚥下食基準を開発。
1989年、基準にもとづいて毎日提供している嚥下食の概要をまとめた小冊子「嚥下食基準とレシピ」が作成されました。
その後、当時の栄養科長 金谷節子らによって、開始食、嚥下食Ⅰ、嚥下食Ⅱ、嚥下食Ⅲ、移行食で構成される「5段階による嚥下食」が開発・提案され、後の「嚥下食ピラミッド」の基本骨格となったのです。(図3-1参照)

図3-1 5段階による嚥下食